深海での呼吸は |
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きっとさぞかし楽なのだろう
深海での呼吸は 今日も甘党の彼の為に作ったケーキを携えて、彼の部屋に転がり込んでいた。 私と違って活字を愛す彼の手にはいつも通り本。 私が家に通い始めた最初の頃は本など読んでいなかったのだけど、毎週転がり込んでいるせいか。 この頃は本を読んだり、レポートを書いたりと余り私を気遣わなくなった。 私は彼の細い、外に出ないせいで少し色白い指がページを捲るのが好きだから文句を言わない。 ただ、本の内容には興味もない。私は活字など苦手だし読書などもってのほか。読書の時間があるなら橙のマニキュアを塗ってメイクをして、そして買い物にでもいく。彼の顔をただ眺めているのもいいかもしれない。 なんて素敵な考えだろう。ふふ、と思わず口の端からこぼれた。元より下がり気味な目尻が下がっているのが分かるからきっと私は今笑ってる。 読書に没頭しているように見えても基本感覚は敏感な彼のこと。気付いたのだろう、視線が私の方へ向く。 きょとり、とした瞳が可愛らしくて思わずまた笑みがこぼれる。私が何かしたら逐一反応してくれるけれど決して騒ぎ立てる訳ではない。彼のこういうところがとても好き。 「どうしたの、杏?」 困ったように、呆れたように下がった目尻に緩んだ口許。 今さっきまで読んでいた本は脇に押しやって、その本に触れていた手はそのまま私の頭へ。髪型を崩さない程度に緩く撫でてくれる手が気持ちよくて思わず瞳を瞑る。あの綺麗な手が私の頭に、彼に見てもらいたいが為に整えた髪に触れている。 「何でもないの、ただ。圭君をずうっと眺めてられたら素敵だなあって思ったの」 いつも、思ってはいる。彼、圭君とずっと一緒に居られたら、と思う。素敵な考え。少し、何と言うのだっけ…。とうさくてき、というやつらしいのだけれど。 難しい言葉は分からないけれど妙に耳に残っている。友人、既に顔すらも覚えてない子だけれど、その子から教えてもらった。 お馬鹿な私に少しの知識。圭君が居るから私に知識はいらないのだけれど。 「杏……。うん、そうだね。僕も杏をずっと眺める事が出来たなら、とても素敵だね」 出来ない、と分かってて笑ってくれる圭君の優しさが好き。でもたまに息苦しい。 私がこういう事を言った時、圭君が少し、毎回困った顔をする。それを分かってて言う私は意地悪。分かってる、つもりなのだけれど、視線をそらしてしまう。 二人とも、ついつい視線は流れっぱなしになっているテレビに向く。 「あ」 ぽろりと零れた言葉。テレビにはきらきら光った綺麗な魚。圭君に視線だけで問うてみれば、 「杏。この魚ね、リュウグウノツカイって言うんだよ」 とても楽しそうに圭君が話し始めた。圭君のお話は心地良くてふわふわする。 きらきらの魚は深海にしか居ない魚で、海の上の方に来たら死んでしまうそう。 圭君の簡単にしてくれたお話でも此処までしか私には理解出来なかった。 「へえ…。圭君はこの魚が好きなの?」 「とっても。いつか、杏にも見せてあげたいなあ。ああそうだ、そういえばね――」 お家、圭君のお家の近くにある水族館に、この魚がいるらしい。珍しいのだろうなあ多分。圭君の瞳がきらきらしてる。 圭君に教えてもらった水族館は案外近い。私鉄を一回乗り継げば行ける距離だ。 「…っと、ごめんね。話しすぎちゃったかな」 困ったように眉を少し下げて圭君が笑った。良いな、と思う。圭君は割り方口下手だからあんまり自分からお喋りはしてくれない。そんな圭君に、ここまでお話されて好かれる魚が少し羨ましい。 圭君の手が私の頭から離れた。お茶でもいれてくるね、そう言って圭君は少しばかり席を立った。 魚に嫉妬だなんて馬鹿らしい話。そう思いながらも考えるのはさっきの魚の話。確かに、綺麗な魚ではあった。見てみたいな、何となくそう思った。 「あれ…。飲み物きれてるや…。杏、ちょっと悪いんだけど買ってくるね」 多分、私の好きなオレンジジュースがきれたのだろう。圭君の空けた冷蔵庫からはチラチラとお茶がのぞいている。 「うん、ごめんね圭君ありがとー」 「いいんだよ別に。忙しかったり用事があったりしたら、帰っても大丈夫だからね」 くしゃっと崩れるように笑って、同じように私の髪も少しだけくしゃっとして圭君は、近くにあったお財布と鍵だけを持って出て行った。勿論、鍵を掛けるのも忘れずに。 圭君の居なくなった部屋でぼんやりする。テレビに視線を向ければ、さっきの魚がまた映しだされている。 魚は標本というのだっけ、剥製だけ。動いてる姿は見られないのかな、水族館に行けば見られるかもしれない。 そう思うと居てもたってもいられなくなって、身支度を始めた。 鍵は合鍵があるから大丈夫。 少し、少しだけ見に行くだけだから。 すぐ戻るからね、圭君。 |